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[40] 監督ブログ お名前:監督  2012-02-16 15:36:59 
卒業生大会が終了した。結果から言えばPK戦で敗れベスト8、ということになる。決勝トーナメントに入っての初戦もPK戦の末、辛くも残った事を考えればPKに救われPKに泣いた形だ。最後にベストゲームが出来たかと問われれば力を出し切れなかった部分はあると思う。協会の都合で日程が急遽変更になったことも少なからず影響があった。予選から決勝トーナメントまで3週間。いい形で予選を突破したウチには長すぎる3週間だ。

また、この日程変更により中盤の要を欠くことにもなった。ピンチの芽を摘む能力に長けたその選手を欠いたことはチームに少なくない影響を与えた。数名の選手が不慣れなポジションに就くことを余儀なくされたこともそうだが、何よりチーム全体が守備的にシフトすることになってしまった。これまで攻撃に軸足を置けていた選手までが守備に回り、結果としてチーム全体が押し上げられない状況に陥ってしまった。

前線が完全に孤立してしまう展開では前線からのこぼれ玉をまったく拾えない。結果中盤を支配され守備の時間が長くなる。守備の時間が長いのでさらに守備の意識が高くなり押し上げることが怖くなってしまうという悪循環だ。少年サッカーではこんな展開もわずか1点の得点が特効薬になることもよくあるがそれも叶わなかった。

ただ、この敗戦によってこのチームの評価が変わることはない。6年間を通したこのチームの通信簿には迷わず『合格』を付けて良いだろう。苦しい時期を乗り越えたチームは同時に大きく成長することもできたと思う。最後の試合も力負けではない以上責任は監督にある。子供達は良く戦ったと思う。指揮官に攻撃の戦術が足りなかっただけだ。「チーム作りはディフェンスから」が私の考え方の根本にある。本来、子供たちの成長には多くのポジションを経験することが欠かせない。とりわけ前でのプレー機会は積極的に作ってあげるべきだ。しかしチームはディフェンスから作る必要がある。このジレンマが常に付きまとうこととなる。

雑な言い方をすれば「攻撃は本能であり、守備は指導」だと思う。または「攻撃はイマジネーション、守備はルール」とも言える。その意味で最初からルールで縛り付けるのではなくイマジネーションを広げることが大切であり、結果それが選手を大きく育てることにも繋がる。しかしながら監督である以上チームを作る使命もある。また、守備力には指導の差が出ると思う。チームの中で監督から最も怒られ、最も怒鳴られるのはいつの代もディフェンスだ。ディフェンスの選手のご父兄にはさぞ胃の痛い思いをされたことだろう。

試合の中では、オフェンスの場合は良いプレーに目が止まるが、ディフェンスの場合はミスや失敗に目が止まる。攻撃陣の果敢なチャレンジは失敗に終わっても褒められるが、守備陣の堅実なプレーは当たり前として見逃されることも多い。こうしてみると良いところがないように思われるかも知れないが私の中でのディフェンスに対する評価はオフェンスのそれよりもむしろ高い。かく言う私も現役時代は一貫してディフェンス道を歩んでおり、これまでのチームでもディフェンスには信頼できる選手を配してきた。

今年のチームが躍進できたのも強固な最終ラインを築けたからに他ならない。この卒業生大会、チームは前回以上の成績を収めることは出来なかった。しかしながら予選、決勝トーナメントを通して全7試合を戦ったが、PKを除けば計280分のプレー時間の中で失った失点は1点も無い。

残りの1ヶ月半、子供たちにはとにかくサッカーを楽しんで貰いたい。中学に進学してもサッカーは出来るが、このチームとしてプレーする機会は恐らくないだろう。鬼のような監督に怒鳴られ続けた選手たちに楽しい時間を過ごさせてあげる事が鬼監督としての最後の仕事だ。振り返れば思い出は尽きない。腹回りと白髪の数くらいしか成長しない私とは違い、少年期の6年間における子供たちの成長は劇的だ。すっかり大きくなって、声変わりしようとも子供たちの姿には、その向こうに入学したての幼い姿が透けて見えるから可愛いのだろう。怒られては泣き、試合に負けては泣き、そうして成長していく姿を時系列で見られる事が指導者としての最高の報酬なのだろう。

6年生の卒業と入れ替わるようにまた新入生が入ってくる。その子達が6年生になる頃にはまたたくさんの感慨を与えてくれるのだろう。そして卒業していくOB達がいつの日か指導者としてチームに帰ってくることを願わずにはいられない。



[34] 監督ブログ お名前:監督  2012-01-16 19:49:41 
『好敵手』

いよいよ卒業生大会が始まった。大会の総括はすべて終了した後にとっておく。今はまだ予選リーグの最中だ。その予選も全5試合中4試合が終了し、あとは来週の中野木FCとの対戦を残すのみとなった。

中野木FCは前回の市民大会で優勝を賭け決勝戦を戦った相手であり、これまでもここぞというところで何度も対戦してきた相手だ。もちろん、通算の対戦成績など知る由もないが、もし記録をつけていたとしてもかなりの僅差なのだと思う。それくらいお互いにしのぎを削ってきた相手だ。

中野木FCの山野氏について触れておきたい。間もなく第3節が始まるキッズリーグの企画、運営を一手に引き受けてくれている人物である。参加チームが120を超えたこのリーグの組合せ、会場の割振りを、それぞれバラバラな学校行事、市の大会を避けながら組み、雨天順延まで考慮に入れなければならない。想像しただけでも気の遠くなる作業だ。我々キッズリーグの恩恵に授かるすべての人間が最も敬意を払わなければならない人物だ。

その山野氏にキッズリーグでの連絡があったので、メールに来週の対戦を楽しみにしている旨を付け加えておいた。返信で曰く『1年生から好勝負をしてきて、6年間の集大成が見れるとなると感無量』との事。全くもって同感だ。理想を言えば今大会も決勝で再戦となればそれに越したことはない。前回決勝で対戦している訳だから正真正銘の強敵であるし、予選で同組に入って欲しい相手ではない。

しかし両チームの経緯を考えると、お互い違うチームに敗れて対戦できないのであればそれもまたつまらない。最初に予選リーグの組合せを見た時には「よりによって・・」と思ったが今となってはこれも運命なのかな、とも思う。

ただ、今回の対戦の状況は前回とは少し違う。ここまで予選の4試合を全勝で切り抜けることが出来たウチに対し、中野木FCは1試合取りこぼしている。試合を見る限り負ける相手ではなかったがそれもまたサッカーだ。21日の対戦では予選の1位抜けを争う戦いでもあるが中野木FCにとってはもしウチに敗れることがあれば得失点によっては予選敗退になりかねない試合だ。

ただでさえ厄介な相手が死に物狂いでくれば簡単な試合ではない。この試合、ウチは応援に3-4年生を呼んでいる。いいところを見せたいのであればもっと勝てる可能性の高い試合を選ぶことも出来た。勝てる可能性は五分五分だと思う。そこにこそ遠路応援に来てまで見る価値があるのだ。

ウチはすでに予選の突破は決まっている。しかも4点以上の差で負けない限り、負けても予選は1位通過だ。中野木FCには予選を突破してもらいたい気持ちは強い。普段あまり試合に出られない5年生を使う考えもあるかもしれない。答えはノーだ。

相手以上に死に物狂いで勝ちに行く。手を抜くほど失礼な話はない。手を抜いたら一生山野氏に合わせる顔がない。3-4年生を前に恥ずかしい試合は見せられないからでもない。理由はただひとつ、相手が中野木だからだ。好敵手とはそういうものだ。



[32] 監督ブログ番外編 お名前:監督  2011-12-22 15:20:44 
ひとり言・・

今年も高校サッカーの季節がやってきた。負ければ終わりの緊張感は、時に選手を萎縮させ、また時に至極のドラマを生む。はかなさに於いてプロサッカーとはまた違った趣きがある。なぜなら高校3年の冬、彼らに来年はないからだ。

今年の選手権はこれと言った優勝候補がいない。こういう年は予想が難しいが、私の予想は本命に済美(愛媛)、対抗に作陽(岡山)と山梨学院(山梨)、大穴には旭川実(北海道)を挙げたい。

地元千葉県では、流経大柏、市立船橋の2強に八千代、習志野が続く。2強とは言え、最近では流経大柏が一歩リードの印象だ。中盤で相手がボールを持つとあっという間に3、4人で取り囲んでしまう。ボールを失った後の切り替えがとにかく早い。特に全国優勝した4年前は圧巻で対戦相手はどこも何もやらせてもらえなかった感がある。この『チームの約束事』は、代が変わっても健在だ。

観ていて魅力的なのは八千代のサッカーだ。創造性たっぷりのそのプレースタイルは優勝した年の野洲のサッカーを彷彿とさせる。その翌年、同じ選手権で野洲を破った八千代はそのままベスト4まで駆け上がる。最後は盛岡商に、というより雨の国立に負けたと言っていいだろう。華麗なまでの八千代のパスワークは雨のピッチに文字通り水を差される結果となってしまった。

問題なのは我らが市船だ。今年は千葉県代表の座を射止めながらも、私の周辺では『全国で勝つなら代表は流経だった』の声が大勢を占める。残念ながら私もその意見を否定できない。と言うのも前回代表となった3年まえの戦いぶりがあまりに悪いのだ。ただ前線にロングボールを蹴り込むだけで中盤からの組み立ては一切なかった。本当に一切だ。堅守は伝統なのだろうが、何をしたいのかが全く伝わって来なかった。

折しもクラブワールドカップではバルセロナが究極のサッカーを披露した。徹底したポゼッションはまさに芸術の域さえ越える。体躯で勝てない日本サッカー躍進のヒントはここにあると言っていいだろう。ポゼッションを高めていく事は言わば世界の潮流だ。ところが3年前、市船が見せたサッカーはこの潮流の対角に位置する。蹴り込む事でポゼッションを自ら放棄してしまう。言い換えれば『勝ちさえすればいいサッカー』と言える。高い守備力と前線に平均点以上の選手を置けば成り立つサッカーで、現に近年でも高校年代で相応以上の結果は残している。ただ同時に日本人にとって絶対に世界では通用しないサッカーでもある。

市船は全国制覇を何度もしている割には日本代表を輩出できないという苦言がある。私の中では前述との因果関係をどうしても払拭できない。市船を全国区に育て上げた布監督はもういない。カリスマ指導者の退任がチーム凋落の引き金となる前例は帝京(小沼監督)、国見(小嶺監督)など枚挙に暇がない。

昨年、この選手権で旋風を巻き起こしたチームがある。島根県代表の立正大湘南だ。戦前から優勝チームに予想したこのチームを追いかけた。地元代表である流経そっちのけで立正大湘南の試合会場に赴き、すっかり魅了されてしまった。ひと言で言えば攻撃サッカーなのだが、随所にアイデアが散りばめられている。それもそのはずで立正大湘南を率いる南監督は、山陰きってのアイデアマンとして有名だ。ブランド化が進む高校サッカーでは有力な選手は有名校に集中する。若干41歳の青年監督は有力選手がみな有名校へ流れていく苦境を逆手に取り、中学時代主力ではなかった選手ばかりをリクルーティングする。そこから持ち前のアイデアと創造性で毎年全国で戦えるチームを作っているのだから賞賛されてしかるべきだろう。

一方、市船はと言えば優秀な選手が集まって来る側の高校だ。市船に関してこんなデータがある。冬の選手権で3度の全国制覇をしているのに対し、夏の総体は7回も制している。3年生が新チームになって間がない総体は素材の差が出やすいが、チームが熟成される選手権では指導者の力量が大きく問われる事になる。

布監督から石渡監督へ変わった頃のコメントを見ると『市船サッカーを知り尽くして・・・』といった内容が多く聞かれた。今年から就任した朝岡監督もまた市船OBである。『伝統を守る』と言えば聞こえはいいが、伝統への固執から柔軟性は生まれない。観客は代表校にただ勝って欲しい訳ではない。かつて栄華を誇ったセリエA(イタリア)はひたすら守るというその退屈な試合内容から、いち早く変化を遂げスピード感あるプレーを随所に魅せるブンデスリーガ(ドイツ)に観客動員数でも大きく水を開けられている。

近年のサッカーは潮目の変化が非常に激しい。伝統一辺倒では勝ち続ける事は出来ないし、何より先で飛躍する選手は育たない。要は監督の見聞の広さが問われ、その体現力が問われるのだ。その意味で今年、市船がこの選手権でどんなサッカーを見せるのか大いに注目したい。

私のように船橋で育ったサッカー少年にとって市立船橋はとにかくあこがれだ。千葉県の代表に優勝してもらいたいのではなく市船に優勝して欲しいのだ。県で二番手に甘んじて欲しくない。布監督の影を追えば絶対に超えることは出来ない。全国の指導者が手本とするような新・市船サッカーを確立してもらいたい。



[31] 監督ブログ訂正 お名前:監督  2011-12-18 10:16:43 
12/13掲載の監督ブログにて、3年生選手権の最終戦(対大和田FC0-1)の先発メンバーで現在もチームに所属するのは3人と記述しましたが、自分の記憶に自信が持てないため問い合わせしたところ、厳正なるビデオ判定の結果4人であることが判明致しました。大変失礼致しました。



[29] 監督ブログ お名前:監督  2011-12-13 09:33:58 
チームは今期、創部10周年を迎えた。この節目の年にふさわしいタイトルを5-6年生がもたらしてくれた。

1〜3年生限定で、しかも船橋小学校のあの狭いグランドだけでの活動チームとして産声をあげた「船小サッカークラブ」は、その後F.S.C.とその名を改める。更に活動学年を6年生までに拡張し、南本町小学校の使用許可を受け、部員数70名を超えるチームへと成長した。軸足をこの船橋に置き、市の大会では勝負にもこだわりながら更に上を目指し活動してきた。

古くを知る人は今でもウチのことを『船小さん』と呼ぶ。それを聞くたび胸中では、忸怩たる思いを感じてきた。新参のチームがその名を認めてもらうにはやはりタイトルの冠載が必要だ。ミニサッカーではたびたび上位に顔を出すようにもなったが、大きくその名を売るには至っていない。むしろ、各コーチにはミニサッカーでメダルを取ることに執着し、本来の目的を見失うことを諌めている。ミニサッカーでは勝てたが8人制、11人制になるととたんに勝てなくなるという事を嫌というほど見てきているからだ。

船橋市のサッカー協会は1〜5年の大会ではブロック制を導入している。登録のチーム数が多いため致し方ないのだが、各ブロックの優勝までしか決定しない。従って、ひとつの大会で複数(3〜4チーム)の優勝チームが存在する事になる。つまり、優勝すれば金メダルを手にする事は出来るが、本当の意味でのナンバー1ではないのだ。

その意味でブロック制が導入されていない6年生の3大会(船橋選手権、秋季市民大会、関塚杯卒業生大会)はタイトルの獲得が非常に難しくその価値は重い。優秀な選手が集まり、市内ではタイトル争いの常連となっているようなチームからすれば「1回まぐれで勝ったくらいで大袈裟な」ということなのだろうが、そんな指摘も甘んじて受けよう。というのも6年生がこのタイトルを手にするまでにはちょっとした紆余曲折がある。

“前途洋々” 5年8ヶ月前、名を改めたばかりのF.S.C.に入部してきたその子達には、そんな言葉がいかにもしっくりくるものだった。近隣のチームが羨むほどの好タレントが揃っており、順調に成長すれば県で上位を争うことも充分可能なそんなメンバーだった。実際、以前この稿でもご紹介した通り、3年生の時にはまったくプレーしたことのない11人制の県大会でベスト16に勝ち進んでいる。そこで破れはしたものの、残ったチームとの差を強く感じる事はなかった。

“栄枯盛衰” おごれた訳では決してないが、その後チーム力は大きく下降線を辿る事となる。受験、転校、移籍と相次いで主力選手を欠いて行く。ベスト8を賭けて戦った3年生の県大会最後の試合、あの時の先発メンバーの内、今なおチームに残っているのは実に3人だけだ。悔しかったと思う。つらかったと思う。少なくても私は悔しかった。ただ、他の選手がチャンスを得て大きく成長したのは紛れも無い事実で今大会優勝の最大の原動力だ。

“慇懃無礼” 数名の移籍していった選手には「新しいチームでも頑張れ」笑顔で送り出すが、心の中では『いつか見返してやろう』それが本音だ。残った6年生全員に同じ思いがあったと思う。私を信じて、また、F.S.C.が好きでチームに残ってくれた選手たちを導くことが私に課せられた重い重い使命だ。

『負け慣れてきた』 6年生になってからのチームの印象だ。黄色というよりもはっきりと赤信号。悔しさは慣れてくると反発力を生じさせない。そうして向かえた船橋選手権。結果は案の定、予選敗退。やっぱりダメなのか?所詮メンバーがこれだけいなくなれば勝てなくても当たり前?いや、もう一回やろう。まだ、子供達と正面から向き合っていない。取り残されたメンバーへの同情?それではあまりに卑怯だ。子供達は取り残されたなんて思っていない。大人の感傷だ。

こうして子供達と向き合った3ヶ月。「もう諦めた。お前たちには何も期待しない」何度も突き放した。本気で向き合ったからこそ発する厳しい言葉。とにかく悩んだ3ヶ月。コーチ、ご父兄、実にたくさんの方からご意見を頂戴した。その都度、見捨ててなんかいないと釈明した。少しづつ子供たちにも変化が見え始めて迎えたこの秋季市民大会。予選はベンチに入らず指揮も取らなかった。貧乏くじを引かされたのは三宅コーチ。この重責が指導者としてのキャリアにプラスになったとただただ信じたい。この大会の影のMVPでありスペシャルサンクスを捧げたい。

決勝トーナメントからの4試合、子供たちにはとにかく自信が必要だ。かつては有り余っていた自信。そして失った自信。「この16チームを勝ち抜く力はある。監督が言うんだから信じろ」何度も口にした。「俺を信じろ」

この大会、ベンチの椅子にはほとんど座らなかった。三宅コーチへの申し訳ない気持ち、子供達と一緒に戦かおうという気持ち、理由を問われれば心中は複雑だ。

正直、結果は出来過ぎだと思う。困難を乗り越え涙の優勝、今時、スポ根漫画でもこんなベタな結末は描かない。ただ、優勝祝賀会を見ていて素直に感じたことがある。監督に成り立ての頃、まだ何のビジョンもなかったが、ただ漠然と“チーム”を作りたいと思った。単に籍を同じくする事がチームではない。競争と尊重の中にこそ連帯感が生まれる。確かに高い意識を持つ選手が集まるクラブチームの方が技術の指導はやりやすいだろう。ただ、味方を蹴落としてでも上に上がろうという競争は勝てるチームは作るが真の連帯感は作らない。あの日思った『いつか見返してやろう』はこの優勝で達成されたのではない。祝賀会での満面の笑みと弾けんばかりの喚声の向こうにはっきりと見える“チーム”の中にある。



[26] 監督ブログ お名前:監督  2011-11-24 19:54:00 
6年生市民大会のベスト16が出揃った。
F.S.C.も2位通過ながらここに残ることができた。

ベスト16の顔ぶれを見ると学校体育のチームの健闘が目立つ。その原動力は何といっても1年365日でもできるその練習量だろう。これに対抗するのは並大抵のことではない。ウチのような社会体育のチームが対抗するにはやはり質を上げるしかない。つまりは『意識をどう高く保つか』ということだ。ここ数ヶ月、6年生と時に言葉を荒げながらも向かい合ってきたことである。

社会体育のメリットは学校体育に比べサッカーを始める時期が早いことだ。一般に4年生頃から始める学校体育に比べ、幼少期に基礎を習得できる社会体育のアドバンテージは小さくない。確かに始めたばかりの4-5年生くらいでは学校体育のチームは社会体育の後塵を拝することが多い。しかし、6年生になるとその差はあっという間に詰まってしまう。さながら、息切れし始める先行馬をゴール前一気に抜き去っていく差し馬のようだ。その脚色は悲しいほども違う。

ただ、レースはいつも差し馬が勝つとは限らない。ゴール前でもう一度伸びる「二の足」を使う馬やゆうゆう逃げ切れるリードを前半につける馬など先行馬や逃げ馬が勝つレースも多い。F.S.C.としてはしっかり「二の足」「三の足」が使えるチームを目指したい。そのために必要なのが冒頭に述べた『意識をどう高く保つか』なのである。

よく考えて欲しい。後ろからターフを削るひずめの音はもうすぐそばまで来ている。ウチと同じく先行した馬は「二の足」を使おうとそのタイミングを計っている。決められた時間に来て、言われた事をやるだけの練習でもう一度伸びる脚を使えるだろうか。

競馬に喩えることの善し悪しの議論はさておき、小学生年代のサッカーをひとつのレースに喩えるなら、スタートからゴールまでその時その時の“今”を見失わないことだ。他のチームを見るとスタート直後の1年生にもムチを入れているシーンをよく見る。頭ごなしに否定するつもりはないが“今”やるべきことではないと思う。スタート直後は手綱を緩めれば大きく遠回りしてしまうのでしっかり目を光らせる必要がある。その方法で「怒る」ことは一番簡単でラクな方法だ。コーチがラクをするなら結果も求めてはいけない。

勘違いしないで欲しいのはムチを打つなと言っているのではない。ムチを使わずに勝てるほどレースは甘くない。かく言う私も散々ムチを打っているひとりだ。「馬に謝りながらムチを打っている」と言っている騎手がいたが私もそういうムチでありたいとは常々思っている。思い通りいかない苛立ちや負けた悔しさをムチに込めるのであれば性質の悪さにおいてそれはやけ酒と変わらない。(下戸ですが・・)

それぞれの学年のコーチも是非、今どこを走っているのかを強く意識して欲しい。何もミニサッカーで勝つことに躍起になる必要はない。ただ、勝つことに努力しない大会に意味はない。大会で優勝することは目標であり目的ではない。大切なのは目標と目的を混同してはいけないし、目標が目的を上回ってもいけない。言うまでもなく目的とは子供たちが確実にステップアップしていくことである。

6年生がスタートからその時その時の“今”を見失わず力を貯めて来られたかはここからの脚色にかかっていると言ってもいい。小学生年代というひとつの節目としてのレースは先行馬に追い込み馬も入り乱れていよいよ最終局面を迎える。夏の船橋選手権優勝チームは予選で散った。過去の勢力図に意味はない。ジュニアサッカー指導者としての私の“目標”は毎年ここで勝負ができるチームを作ることだ。6年生の指導に愛想を尽かしたんじゃないかとの声も聞こえたがムチを持つ手は全く緩めていない。レースは今まさに第4コーナーを回ったところだ。





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